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​モノオペラ「ガラシャ」について / 総合プロデュース・田中彩子

《モノオペラとは》

グランド・オペラ、いわゆる私たちが思うオペラは通常たくさんの登場⼈物や設備を必要とし、平均3時間前後、時には5時間ほどもかかる⻑さのものが基本です。

反対にモノオペラとは登場⼈物が極めて少なく、1時間ほどのコンパクトな演⽬で、ショートオペラ、モノドラマとも⾔われる形式のことをモノオペラといいます。 

 

今回この「ガラシャ」を制作するにあたり、私がモノオペラ形式にこだわった理由は二つあります。

ひとつは今後世界ツアーをするにあたり、なるべく少人数でミニマルなものにしたかったこと。そしてもうひとつは、

“どのような環境や国でも、よりたくさんの⽅々に⾒に来て頂きたい、⾒に来ていただく可能性を広げたい“

と考えたからです。

このモノオペラ《ガラシャ》の登場⼈物は「ガラシャ」と、ガラシャを介錯した「⼩笠原少斎」のみとなり、舞台美術は藍染の帳⼀枚のみとなります。 今後世界をツアーするにあたり、劇場での公演のみならず、たとえ劇場のような整った施設がない場所や国でも、帳⼀枚を吊るすだけで別世界が始まる。シンプルでも、ひきつける魅力。そのような⼒が舞台芸術にはあると思っています。

​《歌と語り》

このモノオペラ「ガラシャ」は、《歌》と《語り》が交差するという形式での作品となっており、歌はほとんどがヴォカリーズ、

“歌詞のない”歌となっております。

唯一の歌詞は、ガラシャがキリシタン洗礼の前に最初に勉強したであろう『Contemptus mundi こんてむつすむん地 』というキリシタン時代におけるキリスト教修徳書から抜粋した古いスペイン語の⼀⽂、

“ciertamente cuado viene la gracia o la visitacion de Dios al hobre, luego se haze poderoso para toda cosa y cuado la fe se va qda pobre y enfermo y quasi dejado a lo que acote Y en estos tiempos no deves desmayar , ni desesperar, mas estar costante ala voluntad de Dios, sufrir con igual animo todo lo que viniere a gloria de Iesu Christo, porq después del inuierno viene el verano y después de la noche buelve el dia, y passada la tempestad viene gran serenidad“

 

そしてもうひとつの歌詞はガラシャの辞世の句である

『散りぬべき 時知りてこそ 世の中 の 花も花なれ ⼈も⼈なれ』

のみとなっています。

全ての語りの⾔語は、国や場所、シチュエーションによって、別の⾔語で翻訳しその国の⾔葉で公演できるよう柔軟な形式で作られています。

このモノオペラ「ガラシャ」を今後色んな場所や国で公演し、音楽・芸術を通した文化交流の懸け橋の一つになれるよう、

そして世界中のより多くの方々に見ていただけるよう、心より願っています。

 

 


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​モノオペラ「ガラシャ」作品解説 / 脚本・横島昇

 作品にはしばしば「復活」という⾔葉が出てきますが、⼀旦死んで蘇るという思想は、聖書だけでなく、多くの古代説話、神話に様々なヴァリエーションを⾒せながら、 ほぼ普遍的に登場してきます。ダフネの物語や、その他ギリシャ神話に登場する「変⾝物語」もその ⼀例。⽇本神話にも、五穀は⻩泉に連れ去られたいざなみのみことから⽣まれ出てきます。 われわれの⼀⽣においても、上昇だけで済むことは絶対にありません。上昇は、必然的に下降、転落を含みます。そして、そういう体験をした者のみが、真の上昇を実現する。

「復活」には、そういう気持が込められています。 ⽟⼦は本来、秀吉は勿論、信⻑よりも格の⾼い家柄の出である、という解釈に⽴って、彼⼥を造形しています。 第三幕について、「カトリックや宗教、気持の変化」とありますが、 この幕については、例えば「無常和讃」(和讃は仏教歌謡の意で、平安後期から室町時代にかけて多く作られ、⽟⼦もこの種の歌を聞いて育ったはず)、⽟⼦の和歌、詩編が⽟⼦の本能寺の変までの気持、味⼟野での絶望的な暮らし、カトリックに改宗後彼⼥が救われ、確信を持つに⾄った思想を表せるのではないかと思います。 旧約の詩編について、因みに思想家のヒルティ(漱⽯の東⼤時代の師ケーベルはヒルティの著作をバイブルにしていた)は、「詩編とダンテからの引⽤の少ないない書物はあまり期待しないがよい」と⾔っていますが、いかに⽣きるか、を考えて書物を求める場合、ヒルティのこの⾔葉は的を得ていると思います。⼀昔前に流⾏ったポストモダンの思想は、⼀⾒華麗だけれど、あれでは絶望は突き抜けられない。

 戦国時代に先⾏する平安末期から鎌倉時代にかけて、すでに時國・法然親⼦のような、優れた平和思想をもつ⼈物がいたということを、このオペラを通じて、国内外の⼈々にぜひ知って頂きたいと思います。

 

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​「細川ガラシャ」あらすじ

 霊魂の不滅を信じ、この世の⽣を相対的に捉える⽟⼦の⽣き⽅は、⽣死(現世)を涅槃とす る仏教徒の少斎には、当初理解しがたいものであった。 だが死に臨み、⾄⾼の存在をめざして最後の⼒を振り絞る⽟⼦の姿に、少斎は⾃尊の昂揚 を⾒、感動を覚える。

⼀⼈の⼈間が、逃れ得ぬ運命を前にして、必定の死を、曇りのない不動の⼼で選び取るその姿勢はいかにも神々しいものであった。

そこに暗鬱の陰はなく、その⾮情の時はいかにも明るかった。⼈間も物も、⾃⼰執着によってのみ翳るのだ。神にも佛にも紛う⾼貴につつまれ世を去った美しい⽟⼦の姿を思い浮かべながら、深い共感のうちに少斎は⾃らの命を絶つ。

 

横島昇 / 脚本 1953 年、京都府に⽣まれる。1976 年、京都外国語⼤学卒業、80 年、同⼤学院修⼠課程修 了。著書、『フランシス・キング 東⻄⽂学の⼀接点』(こびあん書房、1995)、「ガラシャの 祈りー三浦綾⼦著『細川ガラシャ夫⼈』に拠る」。訳書、フランシス・キング『⽇本の⾬傘』 (河合出版、1991)、郡⻁彦『郡⻁彦英⽂戯曲翻訳全集』(未知⾕、2003)、フランシス・キング『家畜』(みすず書房、2006)等。

 

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